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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)616号 判決

原告

田中久一

ほか一名

被告

山中福治

主文

一  反訴原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は反訴原告らの負担とする。

事実及び理由

第一反訴原告らの請求

反訴被告は、反訴原告田中久一(以下「田中」という。)に対し金一六四万〇一四〇円、反訴原告吉松早苗(以下「吉松」という。)に対し、金二〇五万四一二五円及びこれらに対する昭和六三年一月二八日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和六二年五月二日午後一時一五分頃

(二) 場所 大阪市此花区高見一丁目一〇番先路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(大阪五二ふ七八三九号)

右運転者 反訴被告

(四) 被害車 普通乗用自動車(大阪五九せ五九七八号)

右運転者 田中

右同乗者 吉松

(五) 態様 前記場所において、加害車が後退した際、加害車後部が後方で停止中の被害車前部に衝突した。

2  反訴被告の責任

反訴被告は、本件事故当時、加害車を保有し、これを自己のために運行の用に供していた。

3  田中らの治療

田中らは、頸椎捻挫、腰部打撲、頭部挫傷、脳震盪症等の傷害を負つたと診断され、北野病院及び手島病院に通院して治療を受けた。

二  争点

1  田中らの主張

田中らは、本件事故により、次のとおりの損害を被つた。

(一) 田中

(1) 治療費 一〇〇万四一四〇円

(2) 休業損害 八万五六〇〇円

(休業損害二三万六〇〇〇円から既払金一五万円を控除した額)

(3) 慰謝料 三〇万円

(4) 弁護士費用 二五万円

(二) 吉松

(1) 治療費 九一万七一八〇円

(2) 交通費 一一万六三〇〇円

(通院に要した交通費三二万一三〇〇円から既払金二〇万五〇〇〇円を控除した額)

(3) 休業損害 七万〇六四五円

(4) 慰謝料 七〇万円

(5) 弁護士費用 二五万円

2  反訴被告の主張

反訴被告は、次のとおり主張して、田中らが本件事故により受傷したこと自体を否認する。

(一) 本件事故は、加害車の衝突直前の速度は時速四・九キロメートル、衝突の際の衝撃加速度は〇・七g未満といつた軽微な事故であり、衝突により被害車の乗員に外傷が生ずる程の外力は加わつていない。また、本件事故は、追突ではなく、逆突であることから、田中らは衝突を予測して身構えていたものであり、頸部捻挫等の傷害が発生することは理解困難である。

(二) 田中らは、診察した医師等に対して、事故態様等について虚偽の内容を述べて治療を受けており、その訴える症状は信用できない。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様及び田中らの受けた衝撃の程度

1  前記第一の争いのない事実に、甲八号証の四、五、同号証の六ないし八(いずれも後記信用しない部分を除く。)、甲九号証添付資料二〇ないし二八、田中及び吉松各本人尋問の結果(いずれも後記信用しない部分を除く。)、反訴被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は、当該事実の認定に特に用いた証拠である。)。

(一) 本件事故現場は、別紙図面のとおり、東西に通じる道路(以下「東西道路」という。)と南北に通ずる道路(以下「南北道路」という。)とがT字型に交わる信号機による交通整理が行われていない交差点である。本件事故現場付近の路面は平坦でアスフアルト舗装され、本件事故当時、路面は乾燥していた(甲八号証の四、六)。

(二) 反訴被告(本件事故当時満六〇歳)は、加害車(車両重量九五〇キログラム)を運転して(同乗者は無かつた。)南北道路を北進し、本件交差点を南から東に右折するため、交差点中央手前付近まで進行して加害車を一時停止させた(別紙図面〈1〉)。そして、その際、東から西に直進してくる大型ダンプカーを認めたが(同〈A〉)、同車が減速することなく、南北道路西側の工事現場に入ろうとしているように見えたため、このままでは衝突すると思い、後方の安全を十分に確認することなく慌てて約三・七メートル後退し、加害車後部バンパー付近を被害車前部バンパー付近に衝突させた(同〈2〉)。その際、反訴被告は、カチヤツという音とともに、加害車が停止したため、直ちにブレーキを踏んで後方を確認し、はじめて被害車に衝突したことに気付いたものである。

反訴被告は、当時、シートベルトを着用し、両手でハンドルを持つて左後方を向いた状態であつたが、衝突によるシヨツクはほとんど感ぜず、車内で身体を打撲したこともなかつた(甲八号証の五、六、甲九号証添付資料二〇、二七、反訴被告本人)。

(三) 田中(調理師、昭和三一年四月二日生、本件事故当時満三一歳)は、被害車(車両重量八九〇キログラム)を運転して加害車に追従して南北道路を北進し、本件交差点手前の、加害車後方約三・七メートルの地点(別紙図面〈ア〉)でフツトブレーキを踏んで停止していたところ、突然、加害車が後退を始め、クラクシヨンを鳴らそうとしたが、慌てている間に衝突された。

吉松(田中の内妻、スナツク経営、昭和一五年二月六日生、本件事故当時満四七歳)は、被害車の助手席に同乗し、本件交差点で停止中、ダツシユボードの中を片づけるため顔を俯けていたが、「ウー」という車の音で顔を上げかけたところに衝突された。

なお、両名とも、本件事故当時、シートベルトを着用していた(甲八号証の五、七、八、甲九号証添付資料二八、田中本人、吉松本人)。

(四) 本件衝突直後、加害車と被害車はバンパー同士を接触させた状態で停止しており、被害車が衝突によつて後方に後退するようなこともなかつた。なお、本件事故から一二日後に行われた実況見分の際、路面にスリツプ痕は発見されなかつた。

加害車は、後部バンパー右角付近が凹損(横約七センチメートル、縦約三センチメートル、最深部約一センチメートル)したほか、同部及び後部フエンダーに塗料の付着が認められたが、後部パネル、フエンダー等に損傷は認められなかつた。一方、被害車は、右前部方向指示器が割れ、前部バンパー右側が凹損(横約五〇センチメートル、縦約一〇センチメートル、最深部約三センチメートル)したほか、前部フエンダーに擦過痕が、フロントグリル右側部分にひび(横約一〇センチメートル、縦約一五センチメートル)が認められ、その修理費用は五万五七二〇円(うち部品代四万九九二〇円)であつた(甲八号証の四、五、甲九号証添付資料二〇、二二ないし二六、反訴被告本人)。

2  以上の事実が認められるところ、田中は、「衝突のはずみで前のめりになり、その反動で更に後ろに戻つて後部シートで首を打つた。」(甲八号証の七第一二項)、「前の車がバツクしてきたのは見たが、衝突する瞬間の覚えはない。衝突されたのは全く急なことで、その瞬間、私の体は自然と浮かされた感じとなり、頭がフロントガラスに打ちつけられた。」(田中本人一、二項)等供述し、または、吉松は、「事故のとき、左前額部をダツシユボードで打ち、更に反動で後頭部を後部シートで打つた。」(甲八号証の八第一二項、乙一五八号証一(三))、「衝突により、左の頬の角をダツシユボードの上の所で打つた。中腰の状態だつたので、その後、後ろに倒れた。衝撃はかなり大きかつた。」(田中本人一項)等供述して、自分たちが、本件事故の衝撃によつて身体を車内で打つたり、身体が前後したと述べ、また、その際の衝撃が大きかつたことを強調している。

しかしながら、本件事故の状況に関する田中らの説明は、警察の取調べの際の供述、医師に対する説明(しかも、後記のとおり、医師に対する説明自体変遷している。)、本人尋問の際の供述とで食い違つている上(この点について、田中らの訴訟代理人は、事故は突発的、瞬間的なものであるから、記憶が最初はつきりしなかつたり、後で変わつたりすることはよくあることであると主張するが、衝突時の身体の動き等についての説明は、まず真実の体験者なら取り違えたりすることかあり得ない事柄に関するものであることを考慮すれば、極めて不自然であるというほかない。)、後記のとおり、田中らが車内で身体、特に頭部を打撲したことを窺わせるに足りる身体的所見は認められず、当初受診した北野病院でも医師に述べていないこと(殊に、吉松は打撲によつて前額部に瘤ができたとするが、そのことを窺わす所見は全くなく、北野病院の診断名も頸椎捻挫のみである。)等を考慮すると、田中らの前記供述はにわかに信じがたいものというべきである。

そして、自動車工学的見地からは、

(一) 自動車工学上の計算によれば、本件衝突直前の加害車の速度は時速四・九メートルを超えるものではない、

(二) また、衝突時に被害車に加わつた衝撃加速度は、後ろ向きに〇・七gより小さかつたと考えられる、

(三) 一般に、車両搭乗者が交通事故で頸椎捻挫を受傷する場合としては、(1)頭頸部のいわゆる鞭打ち運動による場合と、(2)頭部、顔面、頸部の打撲による場合とが考えられるが、車両に加わる衝撃加速度が三gを超えないと(1)による受傷は考えられず、また、本件衝突の際、被害車に揺れが生じたことも考えられるが、それにより治療を要するほどの打撲損傷が発生するはずがなく、(2)による頸椎捻挫受傷も考えられない(なお、前方から衝突される場合は、頸部の構造及び衝突の予測可能性等から、後方から衝突される場合(追突の場合)よりも大きな衝撃加速度が加えられないと受傷しない)、

(四) 同様に、本件事故状況からすれば、被害車の搭乗者が頭部挫傷、前頭部挫傷、脳震盪症、腰部打撲の傷害を負うメカニズムは考えられない、とされており(甲九号証(広島大学医学部法医学教室教授小嶋亨作成の鑑定書)、証人小嶋亨の証言)、以上のほか、反訴被告の受けた衝撃は軽微であり、衝突を予期して前方から衝突された田中らより受傷しやすい状況にあつたにもかかわらず、反訴被告は本件事故によりなんら負傷していないこと、加害車及び被害車の損傷の程度等を併せ考慮すると、前記認定に反する田中らの供述ないしは供述記載部分は、虚偽と誇張が混在したものというほかなく、到底信じがたいものである。

なお、反訴被告は、捜査段階において、本件衝突時の加害車の速度は時速約一五キロメートルであつたと供述しているが(甲八号証の六第七項)、前記のとおり、自動車工学上の計算式によれば、その速度まで達していなかつたことは明らかであり、右供述記載部分は信用することができない。

3  右認定の事実によれば、本件事故により田中らの受けた衝撃は、極めて軽微なものであつて、田中らは、その身体、とりわけ頭部、腰部に衝撃を受けていないか、もし受けていたとしてもごく僅かなものであつたと推認するのが相当である。

二  田中らの治療経過、症状の推移等

1  甲一ないし四号証、甲六、七号証の各一、二、甲九号証(添付資料を含む。)、証人渡辺昭一の証言、前記小嶋証言、田中及び吉松各本人尋問の結果(いずれも後記信用しない部分を除く。)、反訴被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は、当該事実の認定に特に用いた証拠である。)、この認定に反する田中及び吉松各本人尋問の結果中の各供述部分(特に吉松が額を打撲し、瘤ができたと供述する部分)は、後記のとおり他覚的所見はなく、また、前記認定の事故時の状況等を照らし、信用することができない。

(一) 本件事故後、田中と反訴被告は、車両の損傷の確認をしたが、その際、田中及び吉松に意識消失があつたことは窺えず、両名とも身体の異常を訴えたりしなかつたことから、反訴被告は、被害車の修理に責任を持つ約束をして、その場は別れた。

そして、本件事故の当日夜、田中から反訴被告宅に電話があり、被害車の損害についての話があり、さらに、その翌日の五月三日夕方、再度電話があり、田中の希望により、翌日に警察に事故発生の申告をすることになつたが、そのときも田中らの身体に異常が生じたという話は出なかつた。

田中及び反訴被告は、五月四日午後、警察に出頭して本件事故発生の届をしたが、警察官から「怪我は無かつたのか。」と確認を求められたのに対し、田中は、自己及び吉松の身体の異常を訴えず、本件事故は物損事故として受理された。

ところが、同月六日になつて、田中から反訴被告に対し、吉松が同日病院に行つた旨の連絡があり、さらに同月一三日、田中も負傷した旨の連絡があつたことから、反訴被告は、同月一四日、警察に人身事故としての届け出をした(甲八号証の六、甲九号証添付資料二〇)。

(二)(1) 田中は、同月八日、北野病院で受診し、「同月二日、乗用車に乗用中、前からバツクで衝突された。」旨説明して、頭痛、腰痛を訴え(嘔気、手の痺れはなかつた。)、頸椎捻挫、腰部打撲により約一週間の安静加療を要する見込みと診断さた。

その後、田中は、同月一三日、頸部痛が増強したと訴え、同月一五日には、頸部のだるさ、肩のひつぱり感、嘔気を訴えて更に約二週間の安静加療を要する見込みと診断されたが、同月二二日の受診(このとき気分不快、後頭部痛、脂汗が出ると訴えた。)をもつて、手島病院に転医した(北野病院への実通院日数四日)(甲三号証、甲八号証の九、一〇、乙一号証)。

(2) 田中は、同月二三日、手島病院で診察を受け、「車を運転中、停止中に追突された。」と説明した上、頸部後部から右肩にかけての鈍痛、頸部の異常を訴え、頸椎捻挫と診断された。なお、この日に行われた頸椎のレントゲン検査、その後行われたCTスキヤン、脳波検査で、異常は認められなかつた(甲一号証)。

(3) 田中は、同月二五日、同病院の手嶋医師の診察を受けたが、このときに、頭部打撲、脳震盪症の傷病名を追加された(診療録上、どのような所見に基づいてこのような診断がなされたか不明である。)。

その後、田中は、同病院に通院して、投薬、湿布、理学療法等の治療を受けたが、診療録には症状の記載が乏しく、具体的な症状の推移はかならずしも明らかでない(甲一号証、乙一五三号証、渡辺証言)。

(4) 同年七月、田中らの症状に疑問をもつた反訴被告側が、手島病院に症状等について照会をしたことから、田中は、同年八月一九日の問診の際に同病院の渡辺医師から事故状況について質問され、「背伸びした状態で後ろから追突され、車の傷みは少ないが、かなりの衝撃があり、首がガクンとなつた。枕で後頭部を打つたかもわからない。二日後に嘔気が起こつた。」と説明した(このとき、田中は、後屈時の項部痛のほか、たまに右上肢全体に電撃痛が走ることを訴えたが、眩暈、耳鳴りはなく、また、この日行われたジヤクソン、スパーリングテストはマイナスであつた。)。

右の説明に基づき、渡辺医師は、「田中は、何も知らずに背伸びしたような姿勢でいたところに不意に追突されてかなりの衝撃をくらい、頸がガクンとなつたと言つている。この際、枕で後頭部を打つたかも知れないとも言つている。」として、頸部に鞭打ち運動が発生した可能性があるという回答をした(甲一号証、六号証の一、二、渡辺証言)。

(5) これに対し、反訴被告側は、虚偽の事故状況を述べて治療を受けているので治療費を負担しないと通知したことから、同年一〇月一日の診察の際、再度事故の状況について渡辺医師から尋ねられ、田中は、「乗用車運転停止中、前方の車がバツクしてきて正面に当たつた。前へつんのめつた。首がガクンとなつた。」と説明(診療録では「訂正」となつている。)した(甲一号証、渡辺証言)。

(6) 田中は、その後も同病院に通院して治療(その内容はほとんど変わらなかつた。)を受けていたが、症状が特に改善しないまま、昭和六三年三月九日、通院を中止した(同病院への実通院日数一二二日)(乙一五三号証、一五五号証、田中本人二四項)。

(三)(1) 吉松は、昭和六二年五月六日、北野病院で受診し、「同月二日、乗用車に乗用中、前の車が後方に来て衝突された。頸部が前屈したのち後屈した。」旨説明して、五月五日昼から頸部痛があると訴え、頸椎捻挫により、同月二日から約一週間の安静加療を要する見込みと診断された。なお、そのとき運動範囲、腱反射は正常であつた。

吉松は、同月八日に頸椎カラーを付け、同月一三日には耳鳴り、頭痛を訴え、さらに約二週間の安静加療を要する見込みであると診断されたが、同月二二日の受診をもつて、手島病院に転医した(北野病院への実通院日数五日)(甲四号証、甲八号証の一一、一二、乙三号証)。

(2) 吉松は、同月二二日、手島病院で受診し、同病院の川西医師によつて頸椎捻挫と診断された。その際、事故の状況について、吉松は、「車の助手席に同乗し、停止中に追突された。」と説明していた。

同病院で、初診日にジヤクソンテスト、左スパーリングテストが行われ、プラスの反応が出たが、その後行われた脳波検査、頭部CT検査では、異常は認められなかつた。なお、レントゲン所見上、第五、第六椎間孔狭小が認められた(甲二号証、渡辺証言)。

(3) 吉松は、同月二五日、同病院の手嶋医師の診察を受けたが、このときに、前頭部挫傷、脳震盪症の傷病名を追加された(診察録上、どうような所見に基づいてこのような診断がなされたか不明である。)。

その後、吉松は、通院して、投薬、湿布、理学療法等の治療を受けていたが、診療録には症状の記載が乏しく、具体的な症状の推移は必ずしも明らかでない(甲二号証、乙一五六号証)。

(4) 同年八月一九日、吉松は、田中と同様、事故時の状況について尋ねられ、「ダツシユボードに物を入れようとしていたときに追突され、衝撃があり、左前額部を打つた(瘤ができた。)。その後、反動で後ろへのけぞつた。頭がボーとなり、翌日の晩から後頭部に熱感が起こる。三日後から頭痛が激しくなる。」などと説明し、さらに同年一〇月一日、事故時の状況について、田中と同様、前方から当てられた旨説明を訂正した(甲二号証、渡辺証言)。

(5) 吉松は、その後も同病院に通院して同様の治療を受けていたが、その訴える症状が特に改善しないまま、昭和六三年三月九日、通院を中止した(同病院への実通院日数一二三日)(乙一五二号証、一五六号証、吉松本人一二項)。

2  以上の事実によれば、田中らの傷病名のうち、脳震盪症、頭部挫傷、前頭部挫傷は、他覚的所見によるものでないことはもちろん、当初からの訴えによるものでもなく、本件事故後約三週間たつた時点における愁訴及び本件事故についての田中らの誤つた又は誇張された説明のみに基づくものに過ぎないと認められる(甲九号証によれば、前記小嶋教授は、本件において、脳震盪症を裏付ける意識消失や吐き気、嘔吐などの症状が事故直後に見られず、また、診療録などに記載された所見、症状から脳震盪症を診断できないとしている。また、最初に受診した北野病院で頭部挫傷、前頭部挫傷と診断されず、二〇日以上も経過した手島病院でその旨の診断をされたのは医学的に矛盾しているのみならず、診療録等から窺える所見、症状からはそのように診断できないとしている。)。

一方、頸椎捻挫及び腰部打撲については、一応は田中らが初診時から訴えていた愁訴に基づくものではあるが、他覚的所見に乏しいものである上、前記受傷機転に照らし、その発症は極めて疑問であり、さらに田中らの医師に対する前記のような説明を考慮に入れると、田中らの愁訴ひいては受傷そのものに疑念が残るといわざるを得ない(なお、吉松については、前記のとおり、椎間孔の狭小が認められるが、渡辺証言によれば、本件事故によるものとは考えられず、また、前記ジヤクソン、スパーリングの各テスト結果も、小嶋証言によれば、本件において、必ずしも有効な他覚的所見とは認め難いというべきである。)。

そして、以上のほか、手島病院の診療録が極めて簡略で、症状の推移、所見についての記載が乏しいことも併せて考えると、田中らを診察した医師、特に手島病院の医師の側も、他覚的所見がないか、乏しいにもかかわらず、本人の愁訴を鵜呑みにして前頭部挫傷、脳震盪症等の診断をし、しかも、その愁訴に応じ漫然と治療を続けていたものといわざるを得ない。

三  結論

以上のとおり、本件事故の衝撃は、被害車の乗員の身体に格別の影響を及ぼす程のものとは認められないところ、田中らの訴える症状は、これを裏付けるに足りる他覚的所見に乏しい上、治療経過や診断時点から考えても、また、受傷機転に照らしてみても、相当疑問とせざるを得ず、医師の診断にも信をおけないというべきである。そして、右のほか、かなり早い段階から損害賠償の話がなされ、その際、田中は、休業していないにもかかわらず、「吐き気で仕事ができず、一週間前から休んでいる。」旨を保険会社の担当者に述べたこと(甲五号証)、本件訴訟において、吉松は、通院交通費としてタクシー代を請求し、その証拠として一四三枚の領収証を提出しているが、そのうち一四枚(乙五ないし一八号証)は本件事故前のものである上、本件事故後の日付のものであつても、明らかに通院していない日の分が多数含まれており、さらに、通院した日と一致していても、同じ日付のものが五ないし六枚ある日が多いこと(本人尋問において、田中らは、二人で一緒に通院したと供述しており、このことからすると余計不自然である。この点について、代理人は過誤によるものであるとするが、度を過ごしているといわざるを得ない。)をも考慮すると、前記診断のみによつて田中らが本件事故により受傷したとの事実を認めることはできないというほかなく、他に、田中らについて右受傷の事実を認めるに足りる証拠はない。

そうすると、田中及び吉松の反訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないというべきであり、これを棄却することとする。

(裁判官 二本松利忠)

別紙〔略〕

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